とんでも城! 河内高屋城
今回は、大阪の羽曳野市にあった高屋城について書いていきたいと思います。
お城の概要
高屋城
築城年:室町時代中期(1470年~1500年頃)
築城者:畠山義就?
廃城年:1575年
現在の遺構:空堀・土塁(本丸以外は宅地化されていて遺構は殆ど残らず)
主な城主:畠山氏、三好氏
何がとんでも!?
このお城の何がすごいのかって、本丸が古墳の上にあるんです。それもただの豪族などではなく、れっきとした天皇陵(第27代安閑天皇陵)です。
天皇の墓の上に城を造るって、、、ちょっと考えられないですよね。
ちなみに、戦国時代前期の守護大名で、当時の高屋城主でもある畠山稙長は、「本城ニハ恐レ」て居住せず「二ノ丸」に居住しています。やはり当時(戦国時代)でも天皇に対する畏敬の念はあったようですね。
しかもこのお城、お城の規模としては決して小さくはなく、三管領の主城に相応しいサイズのお城ですが、7~8回は落城しています(落ちすぎです!)。
ちょっとお城としては落城しすぎな感がありますので、もしかすると「守りのための城」ではなく、政庁としての象徴的なお城だったのかもしれません。
そして廃城へ
高屋城最期の城主・三好康長は、1574年第二次信長包囲網に加わった主君三好義継が若江城にて討死したが、本願寺が信長に反旗を翻すと高屋城に入城し、信長に抵抗を続けていましたが、翌1575年に信長に降伏。京都相国寺にて信長に面会し康長本人は赦免されましたが、高屋城は廃城となってしまいました。
現在は本丸跡は安閑天皇陵である(宮内庁により「古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)」として治定されている)ため、立入できませんし、二の丸、三の丸は宅地化しているため遺構もわからないかもしれませんが、もし近くに来られたら「こんな場所にお城があったんだ」と感傷に浸るのもいいかもしれませんね。