今はない大阪の遊園地
今回のブログは、少し趣向を変えて過去に存在した大阪の遊園地について書いてみたいと思います。
洩れなどもあるかもしれませんが、ご容赦ください。
①エキスポランド
吹田の万博記念公園内にあった遊園地。敷地内に「太陽の塔」がありました。
主なのりものとして、
・テクノスター(観覧車)
・風神雷神Ⅱ(立ち乗りジェットコースター)
・スペースザラマンダー(スクリュー宙返りジェットコースター)
・アラビアンメリー(メリーゴーランド)
・オロチ(インバーテッドジェットコースター)
などです。
風神雷神Ⅱの脱輪による死亡事故などがあり、最終的に2009年2月に閉園してしまいました。現在は「EXPO CITY」(複合型商業施設)として運営されています。
②フェスティバルゲート
大阪市浪速区恵美須東にありました。スパワールドの隣と言ったほうがわかりやすいかもしれませんね。
元々は大阪市交通局(市バス)の車庫でしたが、第三セクターに運営委託する形で「都市型立体遊園地」として1997年7月に開業しました。(初めて見たときは、建物からはみ出たジェットコースターが斬新でした。)
その後、経営不振になり、大阪プロレスの常設会場になったりしましたが、2004年に経営破たん、第三セクターは解散となりました。
現在はパチンコ屋とドンキホーテがあります。
主なのりものは、
・デルピス・ザ・コースター(ジェットコースター)
・クロノス
などです。元々の敷地が狭いことと、敷地内に大きな建物が存在しているので、乗り物の更新はほとんどなかったと記憶しています。
③近鉄玉手山遊園地
この遊園地は、柏原市玉手町、円明町にあった遊園地で、開園はなんと1908年(明治41年)だそうです。
当時の運営者は今の近鉄南大阪線を運営していた「河南鉄道」という会社でした。
私が幼稚園・小学校低学年の時に、よく遠足で行きましたが、「遊園地」というのが憚られるくらい乗り物らしいものはなく、施設の売りは100mだの50mだのの「滑り台」だったと記憶しています。
たまに催事ブースに戦隊もののイベントがあったりしましたが、学校の遠足で行った際はこのイベントにすら参加させてもらえないので、自分の中ではあまり遊園地の認識はありませんでしたが、ただその名前とのギャップに衝撃を受けました(笑)。
当遊園地は1998年に閉園し、現在は「柏原市立玉手山公園」として運営されています。
④みさき公園
みさき公園は、泉南郡岬町にあった遊園地で、遊園地以外にも動物園や水族館などもありました。
この公園は南海電鉄が創業70周年を記念して1957年に開園し、2020年3月まで運営されていました。
遊園地部分を含む敷地・施設の所有権を岬町に譲渡され、現在は「岬町立みさき公園」として自然公園に転換利用されているようで、元の遊具などの乗り物施設は順次撤去解体されているようです。
この遊園地は、当時の家から場所が遠く、テレビcmなどでは見たことありましたが、現地に行った記憶は残念ながらありません。
⑤PLランド(桜ヶ丘遊園)
PLランドは富田林市にあった遊園地で、名前通りPL(パーフェクトリバティー)教団が所有する敷地に作られた遊園地でした。
遊園地の運営は、教団内のベンチャー企業が行っていました。開園は1957年、春にはものすごい桜が咲く「桜の名所」だった記憶があります。
今でもたまにYoutubeで当時のcmを見ながら懐かしんだりします。
小さいころに親に連れて行ってもらっていた記憶がありますが、来場者数も1980年あたりから減少し、閉園前の数年間は「桜ヶ丘遊園」と名前を変え、施設や敷地を徐々に縮小しながら、最終的に1989年9月に完全閉園となったようです。
同敷地は、元々教団所有地であるため、現在は一般開放されていないようです。
⑥りんくうパパラ
りんくうパパラは、泉佐野市にあった遊園地(ミニ遊園地)で、1994年に開園し、2004年10月に閉園しました。
遊園地の立地が「りんくうタウン駅」を降りてすぐだったこともあり、遊園地としての規模は小さいながら、「行きやすい、よい遊園地」という感覚を今でも持っています。
子供が小さかった頃に1度だけ行きましたが、良い印象ばかりが残っています。(たぶん、設置していた乗り物などが子供の対象年齢にドンピシャだったからかもしれません。)
⑦おまけ
大昔には大阪市港区に「市岡パラダイス」という娯楽施設が、また同じ港区の天保山に「天保山遊園」、大阪市浪速区の通天閣がある新世界に「ルナパーク」という遊園地があったそうです。(昔すぎて調べるまで知りませんでした。)
かつては大阪にもいろんな遊園地がありましたが、もう遊園地と呼べるような施設はUSJとひらパーくらいしかないのも、何か寂しいものがありますね。